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2016年10月

2016年10月22日 (土)

田窪恭治 黄昏の娘たち  ヘスぺリデスの園 黄金の林檎

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黄昏の娘たち 田窪恭治作品 左からHESPERIDES(83-1)・HESPERIDES(83-3)・HESPERIDES(83-1)

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黄昏の娘たち1985

黄昏の娘たち(イノコズチのマケット) 田窪恭治作品・HESPERIDES(MAQUETTE D`INOKOZUCHI)1985

2枚の写真の出典は、愛媛県美術館2001 田窪恭治ーオブジェから風景へ展図録から  

ヘスペリデス以下ネットより転載

リビアのキレナイカ地方にあった古代都市「ヘスペリデス」 古代ギリシア時代には植民地キレナイカの中心都市であり、ヘスペリデス(後に近隣の4都市と統合してペンタポリス)と呼ばれ、サハラ砂漠を縦断するアラブ隊商の拠点となるとともに隊商路の起点として繁栄。

それを象徴するように、ベレニケ跡地にプトレマイオス朝、ローマ属州期の石墓が多数残っている。

しかしその後は隊商路の起点が西方のトリポリに移ってしまい、長い間キレナイカ地方の小都市にとどまった。

ヘスペリデス(古希: Ἑσπερίδες, Hesperides)は、ギリシア神話に登場する美しいニンフたちである。「黄昏の娘たち」という意味。ヘスペリデスは複数形で、単数形はヘスペリス(古希: Ἑσπερίς, Hesperis)。ヘーシオドスの『神統記』では夜の女神・ニュクスが1人で生んだ娘たちとされるが、一般的にはアトラースの娘として知られ、プレイアデス、ヒュアデスがプレーイオネーとの娘たちとされるのに対し、ヘスペリデスはヘスペロスの娘であるヘスペリスとの間に生まれた娘たちであり、母の異なる姉妹関係になる。

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ヘスペリデスの園 (フレデリック・レイトン, 1892年)

2016年10月20日 (木)

木更津南清苑の皆さんが田植・稲刈りを行い・秋晴れのなか新米の試食会 2016年10月20日

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皆さんが喜んでくれた気持ちを全身に受けて、心に残る日になった…・・感謝。

 先祖の皆さんもきっと喜んでくれたと、感じることができた秋の一日。

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2016年10月17日 (月)

ピカソ イカロスの墜落をネットから購入  創造は、思いがけぬ瞬間の積み重ねで、繋がらない隙間の連続なのである。729円送料257円で面白い本を手に入れた。

膨大なデッサンが並ぶ。しかし、そのデッサンを少しずつ洗練させたり、改良したり、削ったり、足したり、そんな一つ一つのピースを積み上げていくことが、創造ではないという。

そんなピースの寄せ集めが創作ではなく、一つ一つのピースが現れてくること、それ自体なのだという。配列を考えるではなく、要素が絶えず入れ替わるその動きの持続こそが重要だと。。。 

つまりそれは、《コンポジション》 ではなく、むしろ 《ポジション》 というべきものである。膨大なデッサンを丹念に組み合わせても、決してそれはピカソの 「イカロスの堕落」にはならない。

創造は、思いがけぬ瞬間の積み重ねで、繋がらない隙間の連続なのである。

精神に先んじて動く手だけがそれを成し遂げることができるのであって、それを製作の後から説明しようとしても、説明しようがない。

13307b イカロスの墜落 (1974年) (創造の小径) イカロスの墜落 (1974年) (創造の小径) (1974) 岡本 太郎

以下の素晴らしい記述は、ネットからの転載です。感謝・・・。

『イカロスの墜落』、正式タイトルは、”悪にうちかつ生命力と精神力” は、パリのユネスコ本部の大ホールを飾るピカソの壁画。この本は、彼がこの作品のためのデッサンを描きはじめた最初から(1957年12月) 完成まで、約2年間にわたる数々のデッサンが掲載されている。

解説をしているのは、美術評論家ガエタン・ピコン、そして翻訳は(あの)岡本太郎。デッサンの最終形がユネスコ本部の『イカロスの墜落』というような、単純に時系列に並ぶ創作活動の記録では全くない・・・・ というところが、「創造の小径」たる所以でもある。が、何はともあれ、これが 『イカロスの墜落』 本物を見たことはない。 ikarosu

膨大なデッサンが並ぶ。しかし、そのデッサンを少しずつ洗練させたり、改良したり、削ったり、足したり、そんな一つ一つのピースを積み上げていくことが、創造ではないという。

そんなピースの寄せ集めが創作ではなく、一つ一つのピースが現れてくること、それ自体なのだという。配列を考えるではなく、要素が絶えず入れ替わるその動きの持続こそが重要だと。。。 

つまりそれは、《コンポジション》 ではなく、むしろ 《ポジション》 というべきものである。膨大なデッサンを丹念に組み合わせても、決してそれはピカソの 「イカロスの堕落」にはならない。

創造は、思いがけぬ瞬間の積み重ねで、繋がらない隙間の連続なのである。

精神に先んじて動く手だけがそれを成し遂げることができるのであって、それを製作の後から説明しようとしても、説明しようがない。

最後は岡本太郎による「ピカソと私」というあとがき。

1929年、18歳になった岡本太郎はパリに向かい、そこで10年を過ごす。そのパリでピカソを見て衝撃を受けたという記述がある。

「私は何よりもピカソを一つのポイントとして、そこに挑み、闘うことを決意したのだ。彼に感動したからこそ、アンチ・ピカソになったので、それはもちろん、自分の芸術の運命をひらいていくきっかけでもあった。」

岡本太郎によれば、ある作品に感動するということは、形式上の影響を受けるとか、模倣したりすることでもなく、むしろ ”それに挑戦し、正反対のものを突きだすことによって、本質をつかみとる” ことであるという。

他と自を同時発見することで、”共感すればするほど、個性は燃え上がってくる。” その後ピカソはあまりにも巨人になり過ぎた。何をやってもピカソだから、と許されるほど、神格化した。それはまるで、”天国という牢獄に閉じ込められた” ような状態だった。この「イカロスの墜落」は、まさにそんなピカソ自身の堕落の暗示、ピカソ晩年の人間的な絶望感がそこにはあるのではないかと、岡本太郎は云っている。

C0136127_2164121  この画はベルギーの王立美術館で観た。

カロスの墜落のある風景 1558 Oil on canvas, mounted on wood  73.5 x 112 cm  ブリュッセル王立美術館 神話を扱った唯一の絵画。 オヴィディウスの『転身物語』より 物語の情景は 魚をとっている漁師、杖に寄りかかっている羊飼い、鋤で耕している農夫。 左手奥にはユノーの島サモス、右手奥にはラビントスと蜜の豊かなカリュムネ。 右側、船と釣り人の間に足をばたつかせているのが、落ちたイカロス。 おおいなる無関心が画面を覆っている。

イカロスの叫び声を聞いたような気がして上を向いているのは羊飼い。しかしぼーっと上空を仰ぎ見ているだけで、何をしようともしない。 馬に鋤を引かせ畑を作っている農夫も、何事もなかったように黙々と働いているだけ。 釣り人にしても然り。目の前にイカロスが足をバタバタさせているのに、まったくどうでもいい。 ヒトゴトなのである。とても想像力のある人間の世界とは思えない。

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2016年10月13日 (木)

田窪恭治の世界 林檎の教会  田窪恭治、ジャン・マルクと語る

撮影・尾高俊夫 ©TAKUBO

撮影・尾高俊夫 ©TAKUBO

撮影・尾高俊夫 ©TAKUBO

 

2016年10月 1日 (土)

赤ん坊を背負って初めての稲刈り ごはんと味噌汁の会 2016年秋

 

 

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