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2017年3月 9日 (木)

ふるさと歴史講座の講師 永井義雄先生が亡くなった・・・。もっと江戸時代の西上総の話を聞きたかった・・・残念で仕方がない・・・合掌。2017年3月9日

今年度最後のふるさと歴史講座で、永井義雄先生が亡くなったことを知り、全員で1分間の黙とうを行った。

2年前に永井義雄先生の講演・江戸時代の西上総よもやま話を再現してみた。

江戸時代(幕末)の私の先祖の伊豆島村の様子が、リアルに永井先生の講演で初めて見えてきた。村のコメの生産量は(村高)552,35268(約552石)で、62軒 給数(村に複数の領主)6 内訳は、幕府領・旗本朝倉・跡部・河野・佐野・小宮山で 552石の約35パーセントが、6件の領主に年貢として納められていたとのこと。

一石は225キログラム・上田で1反あたり1石5斗(225キログラム)平均的農家では、約5反の田んぼを所有したいた(約1500坪)自作農が大部分であった。  領主との関係が希薄で、名主クラスでも領主の名前を知らない。藩領に比べて負担が少ない・年貢は決められた石高の35パーセント。実質上、農村は農民たちの自治で運営されている。

農民の年間の休みは、約100日。 収入は、村の組頭(富津では)で年30両で支出は20両。という具体的な話を、初めて聞き、目から鱗・・感動。 後半は、戊辰戦争で活躍した、請西藩主 林忠宗の生涯・この話ももっと時間を作っていただき、もっともっと話を聞きたいと思う。


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資料 ネットからの転載  江戸時代の農民自治成立の背景  

斎藤幸雄 HP ( 47 愛知 建築設計 ) 10/10/16 AM01 【印刷用へ】 >「村はかつて、実質的には自治組織であった。その性格を短い言葉で表現すると、布施=ボランティアの精神を根底にもちながら、独立精神と主義主張と結束力をもちあわせ、それが侵されようとするときには、一揆をもって応える、という、高く深く、やさしくしたたかな存在だった。」(210686) 江戸時代に、農村の自治が実現できたのは何故か?その背景を調べてみました。

戦国期に始まる兵農分離政策により、農村は完全に農民の自治に委ねられることになり、江戸時代を通じて“共同体”が維持され続けてきたようです。

以下、KNブログ「日本史についての雑文その4 兵農分離」から一部抜粋・編集(リンク)

■戦国期 旧来の封建領主の支配地域において自治を求める農民の動きが出てくる。封建領主からの自立と自治を求める農民の動きに地侍が乗っかって一揆を形成し、それが拡大し、また再編成されて戦国大名の家臣団が形成されていく。

信長は、兵農分離政策を実施し支配下の武士を農村から分離した。これにより武士を経済的に弱体化させることによって手懐けて、その軍事力のみを純粋に特化させて自己の軍事力の強大化を図った。

そして武士を切り離した農村は、完全に農民の自治に委ねられた。そのために検地を行い土地の所有者は封建領主ではなく、実際に田畑を耕す農民自身であるということなった。さらに農村からは武器を取り上げて変な輩が勝手に支配権を振るったり出来ないようにした。これらによって余計な中間搾取者や武器を持って暴れる者もいなくなり、農村は平和で豊かになった。

このように、土地を取り上げた武士を都市部に集め、武器を取り上げた農民による自治に農村は委ねるという政策が兵農分離だった。この兵農分離によって武士を経済的に弱体化して権力の支配下に置き、軍事力を権力の元に一元管理するという、新たな形の中央集権体制は江戸幕府の体制に引き継がれることになる。

■江戸時代 戦国期の自治農村の自治組織を構成していた武士達が兵農分離で江戸へ連れてこられて幕府組織を形成した。他方、武士を排除することで農村はもっと純粋な形での自治農村となることになった。

これは農村自治を前提とした変則的な中央集権体制で、むしろ武士を土地から隔離することに主眼が置かれていたともいえる。武士階級を権力の手元に隔離しておくために、権力、つまり幕府が武士の生活の面倒を見なければならなくなった。こうして、武士階級の弱体化には成功するが、その後、経済が成長するにつれて武士階級の存在が幕府財政を悪化させ、さらに経済成長の足を引っ張ることになってくる。

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