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2017年7月31日 (月)

孫たちが夢中になって見た番組があった(NHKスペシャル 日本列島誕生ジオジャパン 第2集 軌跡の島は山国となった)その中で紹介された千葉県勝浦市のボラの鼻に興味を持った。なぜ300万年前に東日本は突然隆起し始めたのか、それは列島誕生の歴史の中でも最大の謎の一つ。 千葉県の房総半島・勝浦市吉尾のボラの鼻。ここに隆起の手がかりあった。

千葉県勝浦市吉尾のボラの鼻・黒滝不整合  約300万年前・太平洋プレートとフィリッピンプレートがぶつかり合ってできた地層を観ることができる。 この夏休みに孫たち(小4・小1)を連れた見に行きたい・この近くには、千葉県立博物館分館・海の博物館と・海中公園・勝浦海中展望塔(階段を下りながら海の中を観ることができる)がある。

海の博物館案内HPへリンク

http://www2.chiba-muse.or.jp/?page_id=396

Top_image020 勝浦海中展望塔

なぜ300万年前に東日本は突然隆起し始めたのか、それは列島誕生の歴史の中でも最大の謎の一つ。 千葉県の房総半島ボラの鼻。ここに隆起の手がかりあった。

千葉県立中央博物館 HPへ http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/geotour/index.html

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2枚の写真はネットより転載・感謝 0213_3

NHK スペシャル ジオ・ジャパン第2集「奇跡の島は山国となった・ナレーション趣旨 日本列島を生んだ4つの大事件。第1の大事件 引きちぎられた大地。第2の大事件 火山島の連続衝突。第3の大事件 地球最大規模の噴火。第4の大事件 突然の列島大隆起。

前回は大陸が引きちぎられて海に出ていき、火山島が次々に衝突したことを紹介。1500万年前には西日本の元が出来上がった。この時代の山がなく平原だった。

日本列島誕生のきっかけの第3の大事件は地球史上最大規模の噴火。古座川の一枚岩は地上に表れている一つの岩としては日本最大。那智の滝は日本一の落差を誇り、一枚岩と同じ時期にできた。神倉山は千年以上続く熊野信仰のひとつで、御神体はゴトビキ岩。こうした巨石の場所を地図に書き込むと半円が浮かび上がる。

紀伊半島には多数の巨石とともに温泉も存在する。半円に沿って30近くもの高音の温泉が湧いている。三浦大助さんは巨大な一枚岩を分析し、火砕岩が含まれていることを発見した。そして紀伊半島の地下には神奈川県ほどの巨大な岩石が存在することもわかった。三浦さんはかつて紀伊半島で大噴火が起こったと結論づけた。

カルデラ噴火は地下のマグマがあまりにも大量のため、その上の地盤が陥没してマグマが爆発的に飛び出す。このカルデラ噴火が太古の紀伊半島で起こったのが第3の大事件。

今から1400万年前。紀伊半島には平原が広がり、ステゴロフォドンやワニの仲間などが暮らしていた。ある日超巨大カルデラ噴火が発生し、噴火が収まったあとには紀伊半島全体を埋め尽くすように膨大な火山灰がつもっていた。半円の火口に残ったマグマはやがて冷えて固まり岩となった。1千万年以上経ち、硬い岩がむき出しとなったのが古座川の一枚岩。熊野地方に点在する数々の巨石もそれである。巨石が並んでいた不思議な半円はカルデラ噴火の火口そのものだったのだ。

紀伊半島のカルデラ噴火では火山灰が1日2000メートル以上になるところもあり、10℃も世界の気温が下がった。 紀伊半島が山岳地帯になったのにはもうひとつ別の秘密がある。花崗岩は地球の中の密度より軽く、浮いてくる性質があり、浮いてきた花崗岩が山となったのだ。

1400万年前の巨大なカルデラ噴火により膨大なマグマが地下に残された。そのマグマが冷えてできた巨大な花崗岩が浮かび上がろうとし、上の大地が持ち上がり、紀伊半島が山岳地帯となった。最新の調査で同じ頃、西日本の広い範囲で巨大カルデラ噴火が多発していたことがわかった。紀伊半島だけで他に二箇所。さらに各地で巨大噴火が起こった。愛媛の石鎚山もその噴火によってできたもの。大崩山は花崗岩そのものが地上にむき出しになっている。

2500万年前日本列島が大陸から引きちぎられた頃、今の沖縄あたりのフィリピン海プレートが東に引っ張られ、真ん中に割れ目ができ溶岩が溢れ出した。そこに1400万年前、西日本が衝突し乗り上げた。西日本の地下が溶かされ大量のマグマが発生し、巨大カルデラ噴火を噴火を西日本にもたらした。高温のプレートが西日本を山国に変えたのだ。

列島誕生の第4の大事件「突然の列島大隆起」。新潟県の八海山、標高は1778m。山頂付近には切り立った峰々が2kmに渡って続く。東日本の成り立ちを研究してきた豊島剛志さん。第4の大事件の手がかりが山頂に残されているという。拾ったのは丸い石。

丸い石は本来、流されるうちに角が削られてでき、本来は低い場所のもの。それが山頂にあることは元々ここは低い場所だったのが隆起したということ。石と地層の分析から八海山で隆起が始まったのが約300万年前だとわかった。更に各地の調査から東日本が同じこと一斉に隆起したこともわかった。

なぜ300万年前に東日本は突然隆起し始めたのか、それは列島誕生の歴史の中でも最大の謎の一つ。

千葉県の房総半島ボラの鼻。ここに隆起の手がかりあった。

関東の地質を研究してきた高橋雅紀さん。ここに300万年前の大事件のあとが残されているという。高橋さんはある境界よりも上は大きい石とか小さい石が固まってできた礫(れき)からなる全く違う地層になっていると話す。上側は300万年前より新しい地層、下はそれより古い地層。上側は大きい石が大量にある。

房総半島全体を調べた高橋さん。ボラの鼻を境に南側には300万年前より古い岩石が分布していて、地質は水平を向いていて、一方北側は300万年前より新しい岩石が集まっていて、地質斜めだった。高橋さんは地質の向きはプレートの動く方向と関係していると考えた。

日本には3種類のプレートが重なっている。房総半島ではフィリピン海プレートが沈み続けている。元々房総半島の地層は水平に重なっていたが、フィリピン海プレートが北側に押したことでめくり上がり、斜めになった。ではなぜ300万年前を境に向きが変わったのか。

高橋さんは当初フィリピン海プレートは房総の地層を北向きに押していた。それが300万年前突如、北西に向きを変えた。地層の向きが変わったのはフィリピン海プレートの進む方向が変わったせいだとした。300万年前、フィリピン海プレートは太平洋プレートにぶつかり、それ以上北に進めなくなった。そこで北西に進み始めたと考えている。またこの現象は地球史においてめったにおこないことだと言えるという。

プレートが北西に動くようになった300万年前、東日本の山々が一斉に隆起し始める。プレートの動きと山々の隆起との間にはどんな関係があるのか。高橋さんはプレートの模型を作り、動きを試すうちに一つの答えにたどり着いた。フィリピン海プレートを北西に動かしてみると、フィリピン海プレートに引っ張られるようにして太平洋プレートの沈み込むラインが日本に接近していった。ここで平らな大地と仮定して紙を貼って動かしてみると押されて盛り上がり、山となった。

これと同じことが日本でも起こったと考えている。高橋さんの計算では300万年前から現在の間に太平洋プレートの沈み込むラインは30km日本に近づいた。その分押されて、山は2000m以上隆起したと考えている。突然日本列島を押し始めた強い力は東西圧縮と呼ばれている。海の果てから日本までやってきたプレートが日本列島を押し始めたことが東日本を一気に隆起させ、山国に変えた。

今から400万年前、八海山を含む東日本の広い範囲はまだ浅い海だった。大事件が始まったのは太平洋。深さ7000mの海の底。3種類のプレートが重なり合う房総沖で大事件が起こった。300万年前、北向きに動いていたフィリピン海プレートが突然北西に方向転換。

すると太平洋プレートにも影響を与え、太平洋プレートの沈むラインが西に動き、結果、大陸のプレートは圧縮された。海底は急激に盛り上がり、崖崩れも起こった。房総半島のボラの鼻は崖崩れの名残。陸地でも急速に隆起が進んだ。太平洋プレートが沈み込むラインが日本に近づくことで大地は圧縮され沢山のシワができ、高くなっていった。

日本海側は海底が急速に盛り上がり、山へと変貌。こうして東日本に次々と山が生まれた。 北海道の日高山脈は東西圧縮によって北海道中央部が隆起し、130kmに渡る大山脈ができた。北アルプスは現在も激しく隆起し続けている山々。そして50万年前、海から顔を出したのが千葉県。日本で最後に陸地になった。

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