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2017年9月

2017年9月29日 (金)

小杉田んぼの夜明・2017年9月29日・この集落の田んぼで一番早く朝日を受ける小杉田圃・日の出前から小杉さんは車で待機。ビッグコシヒカリに朝日が射す。この残された1株は果たしてコシヒカリ・・?

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  朝焼けが、小杉田圃に残された1株のビッグ・コシヒカリに。(コシヒカリではノゲが長い・・?)

Dsc_0021_853x1280_3  朝焼けが、小杉田圃に残された1株のビッグ・コシヒカリには、穂が20本ほど出てきている。

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ノゲが長いので、ネットで検索してみたら・ふるさと魚沼 えちご川口のHPに、こんなことが書いてある。 http://sun.ap.teacup.com/sab9613/68.html ところでコシヒカリにはノゲはどうであろうか。近年の品種はほとんどノゲはなくなっている。コシヒカリも通常はノゲはあまり見当たらないのであるが、一部に短いノゲ、まれに長いノゲの籾を見つけることがあって、 さまざまである。 年によっても、ノゲがない年、または長いノゲをつけている年と変化があるのも不思議である。

古代米④ 観察 2017年9月29日採取した籾を観察

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籾のバックは5ミリ角の方眼

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籾のバックは5ミリ角の方眼

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籾のバックは5ミリ角の方眼

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籾のバックは5ミリ角の方眼

Dsc_0048_1280x868 古代米の穂を観察・古代米は、4種類あり(①から④)コシヒカリ⑤

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2017年9月28日 (木)

低気圧・前線通過・房総半島は早朝から豪雨・富津市・大多喜町では1時間100ミリの大雨。木更津市中尾でも今年一番の大雨が降った。

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雨水で、いっぱいになった古代米田んぼ・恵みの雨になった

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中尾の里山の家の庭の柿も色づいてきた。柿の木の下は、田窪恭治作・感覚細胞2017NAKAO

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2017年9月27日 (水)

古代米のモミの観察 出穂25日目 穂の先端部の一部を観察 科学映像館

出穂から約25日を経過・名前のとうりの黒米になってきた。

2017年9月26日 (火)

古代米 すべての株に穂が出そろった・4kドローン撮影 科学映像館 2017年9月24日

本格的な秋到来を迎えて里山の屋敷跡の整備開始2017年9月25日

2017年9月24日 (日)

ビック・コシヒカリ・・?ドローン撮影・穂(しゅすいから2日目花が咲き始めた)2017年9月24日 科学映像館

2017年9月24日午前11時・ドローン撮影・小杉武

撮影2017年9月22日午前5時30分穂が出始めた・観察するア小杉さん

 この小杉田圃は、過ぎ脇が道路で、この中尾集落の幹線道路なので、農作業を行っていると、いろいろな人に声をかけられる。それが、ここでの農作業の楽しみの一つになってきた。

昨日の27日の昼に、様子をみにいったら、穂が19本出ていた。

銀杏の収穫のシーズンになった・先日の台風18号の大風で大量の銀杏が降ってきた。2017年9月23日撮影。

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落ちている銀杏を一個一個集めて(約1時間ぐらいかかった)高圧洗浄機で周りをとり除いた。

Dsc_0110_1280x853_2高圧洗浄機を使うとすぐに周りが落ちる・集めた銀杏は約5キロにもなった。

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イチョウの木には、まだまだ沢山の銀杏がある。

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銀杏が落ちていた木の根元の地面に、これから落ちてくる銀杏を収穫するために淵田さんに借りたシートをひいた。

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これで、落ちてきた銀杏を一網打尽に収穫。(シートをひいて気づいたのは、銀杏は、この木の場合、南側に沢山ついている・・・・。)

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2017年9月23日 (土)

古代米の観察 2017年9月22日 穂が出そろってきた 科学映像館

古代米の観察 2017年9月22日 穂が出そろってきた(田植から128日目)

小杉一家で取り組んだ古代米の育苗と田植(5月14日)

 

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2017年5月14日 古代米の田植

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2017年9月22日 (金)

古代米①の観察 ナノ・キャプチャーを使用して。2017年9月22日

Dsc_0048_1280x868 古代米の穂を観察・古代米は、4種類あり(①から④)コシヒカリ⑤ この方眼台紙はマス目は1センチ角

ナノ・キャプチャーで撮影 マス目は5ミリ角。

実際の田んぼでの古代米①

ナノ・キャプチャーをもっと使い易く。(古代米を観察・撮影) 

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これまでのやり方では、高倍率の撮影時・不安定なので、カメラ部とステージを分離して、顕微鏡のXYステージの上に載せて撮影を行うと安定して上手く観察・撮影ができる。

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ビック・コシヒカリ・・?ようやく出穂(しゅすい)2017年9月22日・彼岸入りから3日目の早朝

2017年9月2日 小杉田圃の稲刈りの時、周りのコシヒカリより30センチも丈があり、青々として立派な株があったので、刈り取らず、その後観察をおこなっていた。昨日の夜、小杉さんが、いち早く穂が出ることを感じ、今朝、2人で 田んぼを観に行った。出ている…・・その時の様子をビデオで撮影。

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ビックコシヒカリ?ようやく出穂(しゅすい)2017年9月22日彼岸入りから3日目の早朝

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ビックコシヒカリ?ようやく出穂(しゅすい)2017年9月22日彼岸入りから3日目の早朝

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ビックコシヒカリ?ようやく出穂(しゅすい)2017年9月22日彼岸入りから3日目の早朝

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ビックコシヒカリ?ようやく出穂(しゅすい)2017年9月22日彼岸入りから3日目の早朝

 

9月2日の稲刈りの様子をビデオで撮影・頭から3分30秒目からコンバインの左後方にポツンと写っている。

2017年9月21日 (木)

古代米③黒米 顕微鏡で観察 2017年9月21日 科学映像館

古代米をナノ・キャプチャーと実体顕微鏡で観察 2017年9月21日

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60インチモニター映像は古代米④

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古代米の穂を観察・古代米は、4種類あり(①から④)コシヒカリ⑤

(方眼紙のマス目は1センチ)

Dsc_0048_1280x868 古代米の穂を観察・古代米は、4種類あり(①から④)コシヒカリ⑤

Singleshot0011_1280x960_2古代米① ①から⑤は拡大率は、すべて同じです。

Singleshot0016_1280x960_2古代米② ①から⑤は拡大率は、すべて同じです。

Singleshot0013_1280x960_2古代米③  ①から⑤は拡大率は、すべて同じです。

Singleshot0009_1280x960_2 古代米④ ①から⑤は拡大率は、すべて同じです。

Singleshot0017_1280x960_2コシヒカリ⑤ ①から⑤は拡大率は、すべて同じです。

古代米の穂を観察・古代米は、4種類あり(①から④)コシヒカリ⑤と比較撮影。

Dsc_0048_1280x868 9月20日採取の古代米の穂を観察・古代米は、4種類あり(①から④)コシヒカリ⑤

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古代米 ようやく穂が出そろった 2017年9月20日早朝撮影

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2017年9月20日 (水)

彼岸の入り・4か所の墓掃除とお参り 善光寺・密蔵寺・伊豆島墓地(1)・伊豆島墓地(2)

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善光寺にある両親と弟のお墓

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 密蔵寺にある先祖の供養塔 Dsc_0033_1280x822

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Dsc_0037_1280x853_2 伊豆島にある先祖のお墓(1)

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伊豆島にある先祖のお墓(2) Dsc_0039_1280x843_2 中央にあるお墓は、私のおじいさんとおばあさんのお墓・おばさんは私が小学校1年の時の冬に亡くなった。  その時の記憶は、までも鮮明に覚えている。おばあさんは、山形県酒田出身。

2017年9月19日 (火)

USB接続顕微鏡(nano,capture)テストでお米の粒を観察・素晴らしい・これで古代米の観察。2017年9月19日

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 まづウルチ米のコシヒカリを観てみた

 

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Dsc_0005_1280x906nano.caputure は、パソコンにUSB接続で使用・簡単に高画質で数ミリのものを 拡大して観ることができ、60インチモニタにつなと、より一層大きく観ることができるすぐれもの(落射照明内臓で便利)。

2017年9月18日 (月)

台風18号通過・台風の中心より遠く離れている木更津でも、未明に風速30メートルを超える暴風雨・夜が明け古代米の田んぼを観に・被害はなし・良かった・・・、2017年9月17日

撮影は、風が収まってきた朝5時30分ごろから開始。

アクアラインは朝8時30分に通行止め解除。

2017年9月17日 (日)

ネットより転載・稲作の起源 書評・最新書評> 稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 池橋宏著

書評・最新書評> 稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 池橋宏著

稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 池橋宏著 [評者]柄谷行人(哲学者) [掲載]2008年05月25日

 だれが、どのように稲作を伝えたのか

   柳田国男は『海上の道』で、南島づたいに日本に稲作が伝えられたと主張した。以来、それを否定する人たちも、渡来した稲作民(弥生人)の技術を、先住民(縄文人)がどのように受容したかを主要な関心事としてきたといえよう。

しかし、と、著者はいう。そのような見方は、一般に、狩猟採集民にとって農耕への飛躍がいかに困難であるかを無視するものだ。小規模な畠作(はたさく)農業ならともかく、水田稲作のように特殊な技術を要するものを進んで受け入れることは考えられない。

 著者は、中国の春秋時代に長江下流域で開始された水田稲作の技術をもった人たちが山東半島に進出し、朝鮮半島南部を経て、日本に渡来したという。本書は、それを多角的な観点から立証しようとするものである。

水田稲作の起源は、日本人の起源・日本語の起源という問題と重なっている。本書は、最新の考古学、自然人類学、言語学の成果を動員して、それらを一挙に解決しようとする壮大な試みである。  

日本における水田稲作は、少しずつ発展してきたというようなものではない。近年発見された遺跡は、稲作がはじめから完成されたかたちで導入されたことを示している。ゆえに、舟を駆使し移動性に富む稲作民が、水田の適地を求めて渡来し、移動・拡大を続けたとみてよい。だが、ここで、つぎのような謎が残る。

 自然人類学的調査は、稲作渡来民とともに、日本列島にいた人々の体形や顔つきが根本的に変わったことを示している。それは多くの稲作民が渡来したことを意味する。もしそうなら、言語も根本的に変わっていたはずである。

ところが、日本語は、先住民の言語(縄文語)がベースとなっており、さほどの変化がない。なぜだろうか。

 かいつまんでいうと、稲作民は小舟で少しずつ渡来した。そのため、言語的には先住民の言語に同化した。

だが、稲作民は当初少数であっても、生産力とともに人口増加率が非常に高く、やがて圧倒的な主流派となった、というのが著者の考えである。

古代米 観察 台風18号が九州に上陸 朝から雨、小杉さんは古代米の様子を観に。2017年9月17日

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 半分以上の株に穂が出てきている

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2017年9月16日 (土)

古代米(黒米)出穂 観察 10日目4k撮影2017年9月15日 科学映像館

古代米(黒米)出穂10日目4k撮影2017年9月15日

今年から始めた古代米の栽培・その中に毛並みの違った古代米が一番早く(9月3日)に、穂が出始めて、ぐんぐん伸びはじめ、こんなにのっぽになってしまった・…いったいなんという名前なのだろうか・・? それにしても茎も葉もお米もノギも立派・・・・素晴らしい・・・・。

Dsc_0067_1280x853この2日間で爆発的に穂が出てきた(田んぼの約40パーセントの株から)

Dsc_0040_1280x853_2この日、早朝より小杉さんは、一つ一つの株を見て回った。

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Dsc_0047_1280x853_2これは・・?

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これは、なんだろう・・? 今日初めて発見‼‼‼・・・・・・・。

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2017年9月15日 (金)

古代米 観察 2017年9月15日撮影 この日40パーセントの株に驚異的に穂が出てきた

2017年9月14日 (木)

木更津・南清苑のみなさん今年2回目の稲刈り・写真を拡大して観ると、皆さんの満足した、穏やかな表情が素敵です。2017年9月14日

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PCで観るとき、写真をクリックすると拡大ア写真になります。スマホでももちろん拡大します。 </p> 拡大して大きい写真で観ると、皆さんの満足した、穏やかな顔の表情が素敵です。

2017年9月13日 (水)

古代米観察記録 2017年9月13日撮影・76株に出穂・14日の早朝は108株・15日の早朝には約240株に達し、全体の約40パーセントに出穂が確認された。

田んぼの畔には彼岸花が咲き始めた。これを合図にどんどん穂が出てきた・・・ホットした。

木更津中尾伊豆島プロジェクトの里山の家・その家の前の無農薬・無肥料田んぼで、古代米の試験栽培を行い、 ようやく穂が次々に出て来て、内心ほっとした。

14日の早朝は108株に・15日の早朝には約200株を超えた。

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2017年9月12日 (火)

国立競技場 3年後の東京オリンピックに向けて工事全開 2017年9月10日撮影

Img_4047_1280x960_2 2枚の写真は三條場洋子さん撮影

Img_4046_1280x960_2 2枚の写真は三條場洋子さん撮影

2017年9月11日 (月)

今年も近所の南清苑の皆さんが稲刈りそして田窪恭治作品との出会い。2017年9月11日)

 

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田窪恭治作 黄金の林檎

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田窪恭治作 伊豆島の藪椿

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田窪恭治作く ノルマンジーの林檎

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和島さんが育てている綿畑 綿の花が咲き始めた・畑の周りの草が伸び畑が埋まりそうなので急遽草刈。

Dsc_0106_1280x853綿の花・オクラの花によく似ている

Dsc_0105_1280x853_2カラスに種を食べられて苦労をして育てた綿が立派に育ってきている

Dsc_0104_1280x853_2小杉さんも綿の花を観に来た。

Dsc_0108_1280x853_2 綿畑のまわりの草が背丈を超えるほど勢いよく伸びてきているので、急遽草刈を行った。

2017年9月10日 (日)

お米の収穫・乾燥後の籾摺り・2017年9月9日今年も彼岸花が咲き始めた。久しぶりの晴天。科学映像館

2017年9月 9日 (土)

古代米 YOUTUBEから観る古代米情報 リンクさせたいただいた方々に感謝します。

香川県観音寺市大野原町の古代米を栽培している合田豊さんみかさんの映像を紹介(YOUTUBEからリンクさせたいただいた・感謝

2017年9月 7日 (木)

古代米 出穂(しゅすい)11株・観察記録2017年9月7日~8日・7日に5株が出穂・8日2株が出穂・合計13株・15日には約240株に。

無農薬・無肥料で古代米を育てる・この日4株に穂が出る・合計11株。次の日の8日の早朝に2株から出穂し、合計13株。

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古代米・栽培試験田んぼ約125㎡・約38坪‣約600株・1株当たり2本から4本の苗を植える。

2017年9月 5日 (火)

古代米 観察 2017年9月5日撮影 昨日までは3株・本日は3株増え6株に。次の日もう一株で7株に。それから10日後の9月15日には約240株に増え・全体の約40パーセントを超えた。

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この株だけは,ノゲが立派についている(1)

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この株だけは,ノゲが立派についている(2)

 

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この株だけは,ノゲが立派についている(4)

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この株だけは,ノゲが立派についている(5)

Dsc_0179_853x1280そのほかの穂が出てきた株にはノゲが全くない。

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6日朝から雨降っていた。午後3時ごろ雨が止んだので古代米を観にいったら南面の角で出穂を確認撮影(1)。

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6日朝から雨降っていた。午後3時ごろ雨が止んだので古代米を観にいったら南面の角で出穂を確認撮影(2)。 Dsc_0208_853x1280_2

6日朝から雨降っていた。午後3時ごろ雨が止んだので古代米を観にいったら南面の角で出穂を確認撮影(3)。

田窪恭治2017 行徳アトリエ1986年から2017年聖心女子大・黄金の林檎までの31年間を映像から観る。

1986年 撮影 材料を入手して行徳のアトリエへ


1986年行徳アトリエからフジTVギャラリーでの田窪恭治展へ

1986年 行徳アトリエでTAKUBOを語る。

1987年 世田谷美術館にて家公開制作(1)

1987年 世田谷美術館にて家公開制作(2)

1987年 世田谷美術館にて家公開制作(3)

1987年 絶対現場 (1)

1987年 絶対現場 (2)

1998年3月31日 彫刻の森美術館にて田窪恭治展開催 礼拝堂プロジェクト構想の発表。

1988年10月 フランス・サンマルタン・ドミュー村 村議会に提案・承認

1989年11月 礼拝堂模型完成

1989年1月 教会石膏模型撮影

1990年1月26日から2月6日 フジTVギャラリーにて 田窪恭治ーサン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂プロジェクト展

1992年7月30日 サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂プロジェクト日本支援委員会発足

1992年10月26日 はつり後の教会 昭和電工会長 鈴木治雄氏現地訪問

1992年はつり後の礼拝堂の様子。

広島市立美術館 1992年2月



この大型リトグラフができるまでをYOUTUBEから動画配信

1994年 屋根ぐみ・ガラスパネル・夜の屋根ガラス

 

田窪恭治 フランス・林檎の礼拝堂 報告会の全記録93分 撮影・編集 尾高俊夫 YOUTUBEより配信

林檎の礼拝堂プロジェクト TV番組 地球の声・全90分を①から③に分割・YOUTUBEより配信・撮影・尾高俊夫。


 

1996年11月フジTVギャラリーでの田窪恭治展・多摩美大学生との交流会

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木更津中尾伊豆島プロジェクト 中尾の家 田窪恭作品を展示 2015年6月16日

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これまで,撮影したテープは、200本を超えた。;

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田窪プロジェクトの初期は、1インチテープ・4分の3Uマチックテープ・そしてベーターカムテープへと・現在各テープとも、再生することが難しくなってきた。ビデオの歴史をたどっているようなプロジェクトの撮影だった。

 

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田窪プロジェクトの初期は、1インチテープ・4分の3Uマチックテープ・そしてベーターカムテープへと・現在各テープとも、再生することが難しくなってきた。ビデオの歴史をたどっているようなプロジェクトの撮影だった。

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2015年9月 長野県飯綱町 アップルミユ-ジアムにて巨大林檎壁画制作

2015年11月 長野県 いいやま広小路再生(1)
 

2015年11月 長野県 いいやま広小路再生(2)

 

田窪恭治 黄金の林檎 2016年9月14日から2017年1月24日までを6本のフォトムービーで観る。制作・著作・三條場洋子

(1)2016年9月14日

(2)9月17日

(3)10月22日

(4)11月17日

(5)2017年1月20日

(6)1月24日

2017年6月23日 聖心グローバルプラザ・黄金の林檎シンポジウム開始前の様子。

制作・著作 尾高俊夫

黄金の林檎 田窪恭治  4kドローン撮影全4分 映像制作・著作・ 尾高俊夫・小杉武・三條場洋子

  

田窪恭治 黄金の林檎 完成記念シンポジウム上映版・黄金の林檎制作過程4K記録映像(全13分) 映像制作・著作・尾高俊夫・小杉武・三條場洋子

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2016年9月から田窪恭治 黄金の林檎の撮影は、延べ109日間に及んだ。 今回の撮影は、最新のデジタル記録である4K動画記録を行った。

 この箱の中に、3テラバイトのハードディスク10台に4k記録映像・全記録が収まっている。尾高個人では、手に余る作業なので、聖心女子大の電気関係の専門家の斎藤信哉氏が引き受けてくれた。感謝・感謝・感謝。半年にわたる4k映像データと写真データが、この1箱に詰まっている。

引き渡しは、黄金の林檎の前で行った。

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Img_3844_1280x960_4 三條場洋子さんの写真撮影データもこの中におさめられている。 Img_3842_1280x947_2

 

黄金の林檎に見守られて。 Img_3850_1280x960引き渡し後、学内にある教会を見学させていただいた…・感謝・・・・。

2017年9月 4日 (月)

収穫したモミを乾燥機に入れ水分量15%まで下げ,少量を、小型の籾摺り機を通し、精米機で精米・今年の新米を観察。2017年9月4日

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田窪恭治 黄金の林檎 4k映像データ(25テラバイト)バックアップ完成 聖心女子大に受け取りに。2017年9月1日

この日、田窪恭治 黄金の林檎・記録写真を撮影してくれた三條場洋子さんと2人で、聖心女子大へ、膨大な4kデータのバックアップをしてくれた電気主任の佐藤信哉さんをたづねオリジナルデータを受け取った。4kの膨大な映像を快くバックアップしていただいた佐藤信哉さんに感謝。

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田窪恭治作・黄金の林檎壁画の前で。

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聖心女子大の帰りに近くにある、山種美術館によって上村松園展を鑑賞・撮影できる場所で記念撮影。

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 この画は、こんなに大きい迫力のある画だったのだ。観に来て良かった。

 

2017年9月 3日 (日)

古代米・無農薬のコメ作りにたどり着くまでの軌跡を観る

木更津・中尾伊豆島プロジェクトの無農薬・無化学肥料で稲の生育を行っています。  今年からは、古代米を自分たちの手で育てようと、小杉さんが古代米のモミを手に入れ、小杉一家で、丁寧に育てた苗を、この田圃に移植しました(苗箱で10箱),もしもうまく古代米が収穫できたら、来年は、5反歩の田んぼ全部で古代米の苗を育てようと計画しております。

その矢先、田んぼに、コナギが大発生し毎日、コナギ駆除に追われています。空から観て田んぼが濁って見える のは、そのせいです。

 

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2017年5月14日 古代米の田植

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古代米栽培までの軌跡を観る

 

 

The Parting Glass

Of all the money that ere I had I spent it in good company. 持っていた金はみな、我が良き友のため使い切った And of all the harm that ere I've done 人を傷つけるようなマネだってしてきたが alas was done to none but me. おっと、それは自分の勝手でやったことだった And all I've done for want of wit to memory now I cannot recall. なんの考えもなくやってしまった事なんて 今さらくよくよ振り返れないじゃないか So fill me to the parting glass Goodnight and joy be with you all. さあ、俺に酒をついでくれ今宵の別れと、みなの成功に乾杯だ ほたる野から伊豆島

菅生遺跡 弥生時代の農業水田遺跡

055_1024x683上総菅生遺跡は、この小櫃川の右側のカーブしている地点・小櫃川の河川改修でその大部分は川の中に。

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菅生遺跡 ふるさと歴史講座 2015年1月22日 東清公民館にて 講師 木更津市教育委員会 酒巻忠史主幹

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120_1024x683病院跡から朝日町のジャスコを望む

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Photo_4各写真をクリックすると拡大します。

Photo_6上総大寺廃寺は、中尾の自宅から北に約1,6キロの地点にあります。

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011_1024x683_3上総大寺廃寺石製路盤

016_1024x683_2大寺廃寺は、出土した軒丸瓦の文様(複弁八菜蓮華文}によって、奈良飛鳥の四大寺の一つ川原寺との関連が非常に高いとみられ、この川原寺の創建年代に近い、7世紀後半につくられた上総国最古の寺院と思われます。木更津市教育委員会より転載。

026_1024x701写真の左から2番目が大場磐雄先生

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Photo_2弥生時代の水田跡と飛鳥時代の行政府跡?

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奈良の川原寺のHPへリンク http://www9.plala.or.jp/kinomuku/kawaradera.htm

これ以下はネットからの転載

 

これまでに大場氏による菅生遺跡における調査の写真資料は昭和53(1978)年に出版された『上総菅生遺跡』の他、様々な論文の中で引用されており、その概要が窺える。写真資料に関しても、これらの論文中に度々用いられており、ここではその内容の一部に触れてみたい。

 

調査当時の周辺環境がわかる遺跡の遠景写真・遺構写真は、戦後急速に変化した当地における開発が開始される以前の状況を知る上でも非常に示唆的である。例えば大場氏は『上総菅生遺跡』の報告書中の第1図、第4図、第12図などで、また、参考文献の幾つかの論文における遺跡遠望でも菅生遺跡を中心とした周辺環境を一瞥できる写真を利用している。また河川改修によって流路を何度か変更している小櫃川の昭和初期当時の状況も窺える資料としての意義も看過できない。この他、発掘調査参加者による集合写真、遺物写真なども多数残されている。

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この中には人物を特定できる資料も多い。遺物写真は報告書中に未掲載の遺物出土状況の写真も多数含まれており、土器はもとより大きな成果をあげた木器や木製品などの出土状態なども窺える。

 

本調査と併せて大場氏は周辺の他の遺跡に関しても調査を行なっており、今回の資料中にいくつか認めることができた。確認できた中で2、3例を挙げると相里古墳は昭和13年5月の菅生遺跡第1次、第3回調査の際に大場氏が調査を行なって。『楽石雑筆』の記事からは遺物の出土も認められているが、当資料の中には石室の状態を写した遺構写真が残されている。

 

また大場氏は当調査中、双魚佩や環頭太刀の出土で著名な松面古墳の調査を実施している。松面古墳は調査当時、産業組合病院裏古墳とされ、のち大場氏による『日本古文化序説』の中では元新地古墳、『上総菅生遺跡』中では君津病院内古墳(周辺遺跡の図中では松面古墳)と称されている。調査は菅生遺跡第1次、第4回調査の昭和13年7月に実施されているが、他に当古墳の概要を記した報告等がなされていないため、今回の資料中に存在している石室や墳丘の写真資料は、かなり破壊を受けた段階ではあるが公開する意義が大きい。この他にも菅生遺跡のすぐ北側に位置する古代寺院の大寺廃寺など木更津付近一帯の調査を行っている資料も存在する。

 

次に菅生遺跡の現況について述べてみたい。現在、菅生遺跡では大場氏が調査した地点はその大部分が小櫃川の流路中にあり、原形を留めていない。

また詳細な調査地点に関しても、第1次調査時から65年の時を経て、現地の地理的状況は河川の流れを含めて全く変わってしまい、正確な位置に関する知見を得ることは出来なかった

 

菅生遺跡周辺では、大寺浄水場建設に伴う菅生第2遺跡の調査の後、菅生遺跡も千葉県、木更津市による調査がされており、資料の蓄積が進んでいる。

一方で、大寺浄水場や菅生の西側を南北に伸びて小櫃川をまたぐ東京湾アクアライン連絡道などの開発によって菅生遺跡の取り巻く環境は大きく様変わりしている。また、大きな手掛かりとなる小櫃川の流路が変ってしまい、旧流路が消滅してしまった現在では、遺跡の原状を考察する事は非常に困難である。

かし、遺跡の遠景写真で見られるような高千穂古墳群が存在する丘陵などはそのまま確認することができる。そして遺跡現場自体は、大寺浄水場の南側の小櫃川が北側に大きく屈曲する部分のやや東側の河床であることは、報告書等の図上から推測可能であり、今回はこの地点の現在の実地調査を行なうこととした

 

調査は平成15年1月18日に実施し、撮影はそれぞれ遺跡の北側、西側、南側から行なった。写真1、写真3に見える高架の道路が東京湾アクアライン連絡道であり、写真2はその上から撮影した。写真2では小櫃川が大きく屈曲している箇所が確認でき、菅生遺跡の場所が比較的分かり易い。また写真2右手側は高千穂古墳群のある丘陵、左手側は大寺浄水場である。正確な遺跡の位置に関しては問題もあるが、菅生遺跡周辺の21世紀初頭の様子を「定点撮影」するという意義をこめている。また、近年活発に議論され、本フロンティア事業内においても懸案の一つとなっている画像資料の活用という面からも、遺跡調査時と現状の比較ということで現況の報告を行なった。

 

菅生遺跡において大場氏が発掘を行った正確な位置に関しては、遺跡の失われてしまった現在トレンチの位置など正確には不明な点が多いが、残された写真資料は調査地を特定する手掛かりとなる情報が多く含まれている。こうした細かい調査区がどの部分にあたるかなど、残された課題は大きい。また考古学ばかりではなく昭和13(1938)年当時の菅生における「定点撮影」として他分野の利用も想定できる。当新出資料に限らず広汎にわたる研究利用に供するよう、これからも作業を継続していきたい。

 

なお、菅生遺跡の現地調査や文献収集にあたっては君津郡市文化財センターの光江章氏、木更津市金鈴塚遺物保存館の稲葉昭智氏に多大なるご助力を頂いた。記して謝意を表したい。 (髙野晶文)

〔参考文献〕 『 大場磐雄 1938.3 「上総菅生遺跡(予報第一回)」『考古学』9-3,p109~116,東京考古学会 大場磐雄 1938.5 「地底の宝庫 清川遺跡を発掘して」『科学画報』27-5,p50~51・105~111,誠文堂新光社 大場磐雄 1938.10 「上総菅生遺跡(予報第二回)」『考古学』9-10,p469~480,東京考古学会 大場磐雄 1938.11 「上総清川村菅生遺跡発掘日録」『上代文化』16,p1~9,上代文化研究会 大場磐雄 1939.1 「上総菅生遺跡の一考察(一)」『考古学雑誌』29-1,p1~8,考古学会 大場磐雄 1939.3 「上総菅生遺跡の一考察(二)」『考古学雑誌』29-3,p154~169,考古学会 大場磐雄 1943.2 『日本古文化序説』明世堂 大場磐雄 1948.10 「千葉県木更津市菅生遺跡の研究」『上代文化』18,p1~10,國學院大学考古学会 大場磐雄 1951.4 「菅生遺跡回顧」『房総展望』5-4,p2~4,房総展望社 菅生遺跡調査団・木更津市教育委員会 1973.6 『上総菅生遺跡 -昭和47年度第1期調査速報-』 大場磐雄 1977.1 『大場磐雄著作集第八巻 楽石雑筆(下)』雄山閣出版 木更津市菅生遺跡調査団編 1980.3 『上総菅生遺跡』中央公論美術出版

稲刈り終了・天候に恵まれ、約4反歩の刈りとりが3時間30分で終わった・素人が8年前から始めた無農薬・無化学肥料での米作りもようやく実を結んだ。来年からは古代米栽培に本格的に挑戦したい。今朝、試験的に植えた古代米の穂が出てきた。2017年9月2日

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