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2017年12月27日 (水)

木更津・高柳にあった至徳堂/今から200年前の西上総で始まった先進的な庶民教育の場(銚子塚古墳の南面)を観に行く・JR内房線の線路脇にあった。

至徳堂物語を読み始めて、現地を観てみたくなり早速向かった。

中尾の家からは約5キロ、JR内房線の近くまで 行き、田んぼを見渡したら2つ丘のある銚子塚古墳が線路脇にある。

近づいていくと、やはり高柳銚子塚古墳だ(南北に全長142m千葉県第2位の大きさ)。

古墳の南側の中腹に碑が笹薮から頭を出している。   

そばまで行くと、農家の方が田んぼで、切り株などをもやしていた。

 思い切って至徳堂跡は、どこかを訪ねると・・・。

ここの畑がそうだと教えてくれた。

2つ丘のある銚子塚古墳は海軍の木更津航空隊の建設と同時に、この古墳に高射砲陣地を作り、  戦争末期に鉄が足りなくなったのでを爆破して、鉄をとりだしたので、真ん中が窪んで2つの丘に なったと教えてくれた。  

この銚子塚古墳は、千葉県で2番目の大きな前方後円墳だが、明治時代にも、鉄道を通すために古墳の前方部分をけづって線路を敷設。

古墳の中腹にある至徳堂関連の碑に立つと線路越しに富士山が大きく見える。

 1817年・至徳堂は、この古墳の丘の足元に造られたとのこと。

昭和23年に故郷木更津で生まれ、1年ほどして千葉に引っ越し、それから60年も、この内房線でふるさと木更津に通っていたが、何百回も通って車窓から見たの目の前の景色の中に銚子塚古墳があり、至徳堂跡があることを今日まで知らなかった。

 

今日、はじめてこちら側に立ち、内房線の電車をみると、ふるさと木更津のいろいろな事が頭の中でつながっていくのを感じた。

至徳堂研究 近世地域教育の一断面―上総の郷学「至徳堂」の歴史 単行本 – 2014/6三浦 茂一 (著)

昭和4(1929)年4月8日~ 昭和期の歴史家。千葉県史編纂室主幹。編著書に「千葉県議会史」「角川日本地名大辞典・千葉県」など。

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