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2018年5月

2018年5月30日 (水)

小杉田んぼの水路の排水 2018年5月29日

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2018年5月28日 (月)

蛍が飛び始める(2018年5月28日)・淵田さんと2人で源氏蛍12匹・平家蛍6匹を確認。

これまでの蛍情報紹介・2017年5月25日の様子

この日,清見台南の渕田町内会長に連絡をとり、現地に見に行った。  いるいる、合計13匹が飛んでいた。

Dsc_0031_1280x853_2 淵田さんは、フル装備のほたる下見装備。

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源氏蛍は平家蛍の約2倍の大きさで、発光も長く明るい。この木更津の田んぼビオトープでは、平家蛍と源氏蛍が 同時期に見られる。生息地域は、上流が源氏蛍・下流が平家蛍とすみ分けている。

youtubeより動画配信2016年6月15日撮影

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2017年6月4日大発生の日の見学会の記念撮影

 6月4日、木更津市清見台南町の町内会長の淵田弥吉さんのもとに集まった、子供会のメンバーと父兄たちは,星座のように群れ飛ぶ50匹以上の源氏蛍の群れを見ることができ大満足。

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2018年5月27日 (日)

田んぼの除草(腰痛にならない為の)無農薬・無肥料でお米を育てる小杉田んぼの除草。2018年5月26日

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Dsc_0017_1024x683_4田んぼは、少しでも抑草するために深水管理をしているが、コナギの 勢いには負けているので、この道具使って田んぼの草を浮かせる・風が吹いてくると風下にコナギが集まるので、網ですくい採る。

田んぼの除草 素人が行う無農薬の米作りには必須

Dsc_0008_1024x683_2田んぼの除草に必要な道具・大部分手作り・草の状況に応じて使い分ける・これらの

道具は、腰をかがめて草取りを行わないためのもの.



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2018年5月25日 (金)

古代米(黒米)の田植に備えて植え代掻きを手作業で行った。2018年5月25日

この日、朝の5時すぎから田んぼの除草・大部分はコナギ。わずかにマツバエとオモダカ2つの田んぼの除草を朝食を挟んで、昼近くまで行った。  昼食後は、夕方まで古代米の田植準備。(田んぼの代掻きを行い、水位を下げた)

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Dsc_0069_1024x683昨年の古代米

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2018年5月24日 (木)

ふるさと歴史講座1班資料集・至徳堂物語 出版記念 特別講演 至徳堂物語について 

Dsc_0001_934x1280_2   志徳堂物語 平成29年12月1日発刊・やまがら企画

◎この関連記事をネット検索を行った。

千葉県のHPより

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かねだしょうこう文政6年(1823)の扁額に「金田庄黌」とあり、文政7年(1824)の扁額には「至徳堂(しとくどう)」とある

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しょうがくがんげい

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明治維新によって急速な近代化に成功した理由の一つとして、江戸時代の末までに、すでに広範な教育が普及していたことがあげられる。 それを担ったのが幕府の昌平坂学問所から藩校・私塾・郷学・寺子屋やまでの様々な教育機関である。郷学は庶民の指導者教育を担った教育機関で、なんらかの公的保護・監督を受けた点が寺小屋と違っている。

 金田庄黌(かねだしょうこう)は近隣の庶民を教育する目的で、文化14年(1817)に名主の願いにより、現在の木更津市高柳小字塚之腰に設立された郷学である。文政6年(1823)の扁額に「金田庄黌」とあり、文政7年(1824)の扁額には「至徳堂」とある。金田庄黌あるいは至徳堂と称されていたことは明らかであるが、その使い分けや前後関係の事情は明確ではない。教授、助教、館頭、館正などの職掌があり、郷学としての組織が整えられていた。

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高柳銚子塚古墳(南北に全長142mで千葉県第2位の大きさの前方後円墳)左に内房線の線路 戦前に鉄道を通すために銚子塚古墳の前方部分が破壊され、また戦争中は、高射砲台座になり破壊され、戦争末期には、鉄を回収するために爆破したので、このように真ん中が吹き飛んでいる。

Img_1写真上が北・すぐ左側を内房線の線路(ネットより転載・感謝)。

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高柳銚子塚古墳にある至徳堂関係の石碑

扁額(へんがく)は、建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額(がく)、看板であり、書かれている文字はその建物や寺社名であることが多いが、建物にかける創立者の思いなどを記すことがある。

扁額は神社、寺院、城門、茶室などの伝統建築のみでなく、学校、体育館、トンネルなどの近代建築においても掲げられる。特に神社に掲げられている額を「神額」、寺社に掲げられている額を「寺額」という。扁額の文字は著名人が揮毫することがあり、扁額そのものが書跡としての文化財の扱いを受けることがある

 資料は、設立や経営・行事にかかわる文書9点、教科書や教授関係者の蔵書であった典籍9種72点、扁額2点である。以上は、千葉県のHPからの転載です。感謝。

関山邦宏氏の画期的な研究発表・上総の郷学至徳堂について - 和洋女子大学学術リポジトリ https://wayo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common... 関山邦宏 著 - ‎1989 ネット上にPDFファイルで公開されています(18ページあります)

千葉教育』第四八七号、 昭和七年) によって、 現在まで伝えられきたとい っても過言ではないだろう。 ちなみに、 「広範で丹念に克集. された資料をもとに、 客観的で真摯な態度に立脚して編集ないし執筆された内容を糾z少」 教育史の 一 といわれる 「千葉県教育史』 はそ. の 「巻一 」 (昭和十 一 年) で至徳堂にも言及群鴉 (三八八頁以下) が、 その記述内容は鈴木論文のほぼ全文引用と若干の関係者の略伝で. 構成されている。 また市政施行:干周年を記念して刊行された大著 『木更津市史』 (昭和四十七年) もほぼ同様 ...

◎至徳堂関係資料・木更津市立図書館HPから観ることができます。

http://www.city.kisarazu.lg.jp/resources/content/40713/20140618-111337.pdf

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この2枚の写真は、クリックすると拡大し、フリガナが読めます。

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◎郷学とは・・? 「きょうがく」と読む説も有力。郷校、郷黌(ごうこう)、郷学所、郷学校、明治期には義校とも称した。江戸時代から明治初年にわたって存在した武士・庶民のための領主公認の教育機関で、次の三つに大別される。

〔1〕藩が領内の僻地(へきち)に、また藩主の支族・重臣らの所領に設けた陪臣のための学校。会津、秋田、盛岡、萩(はぎ)、佐賀、熊本など辺地の大藩に例が多い。

〔2〕藩主・代官、民間有志が庶民教育のために設立し、藩主や地頭(じとう)がこれを補助したり、嘉納して保護・監督にあたって運営した学校。岡山藩が1668年(寛文8)領内に設けた手習所(123か所)の例が古く、有名である(のち閑谷(しずたに)学校に統合)。

〔3〕これらのなかで、とくに民衆の自主性や内発性に支えられて設立された庶民のための学校で、民衆が公的教育を要求する運動の所産とみられるもの。

 いずれも儒学を中心に、文武あるいは書算を授け、未成年者、成人を一体的に対象とした生涯教育型のものが多い。全期間を通じ、全国に1000余校の郷学が設立されたが、多くは明治初年に集中している。

 いわゆる第三種郷学とよばれる〔3〕の代表例は、摂津国平野(ひらの)郷(大阪市東住吉区)の含翠堂(がんすいどう)(当初、老松堂(ろうしょうどう))で、1717年(享保2)郷民の教育機関として設立され、1872年(明治5)の学制頒布まで続いた。

中世末の自治都市平野郷町以来の、地域の有力者からなる同志の寄金により維持されており、大坂近郊在郷町の商人地主層の教育文化活動の一環である。かたわら賑給(しんきゅう)料とよぶ基金を備蓄し、飢饉(ききん)時の救済活動も行っている。含翠堂では、以下のような、次の時代の公教育につながる諸要素が指摘されている。

(1)その教育は儒学が中心であるが、特定の学統によらず、町人としての実践道徳に重点を置き、封建的身分制を超えた人間性の問題を提起している。

(2)設立維持者と教師とが分離している。

(3)教育は教師に任されている。

(4)経済的基礎は有志人民の共同出資によっている。

(5)権力に公認されている。

 学制に先だつ1869年(明治2)京都の町組により設立された小学校、71年開校の武蔵(むさし)国南多摩(みなみたま)郡小野路(おのじ)村(東京都町田市・多摩市)の郷学などは、いずれも地域の有力者たちが、新時代の人材養成のため設立・維持したものである。

小野路郷学からは後年の多摩自由民権運動の指導者たちが育っている。郷学の内容は多様であるが、全般に支配者層の教化策によるものも多く、民衆の教育要求や、運動の評価については、今後の研究にまたれる。

しかし郷学は、明治期「学制」以後の日本の公立学校や公教育制度の前史に一定の位置を占めるものであった

[木槻哲夫] 『津田秀夫著『近世民衆教育運動の展開』(1978・御茶の水書房) ▽石島庸男著「京都番組小学校創出の郷学的意義」(『講座日本教育史2』所収・1984・第一法規出版) ▽石川謙著『日本学校史の研究』(1960・小学館) ▽文部省編『日本教育史資料 3』復刻版(1970・臨川書店) ▽梅渓昇・脇田修編『平野含翠堂史料』(1973・清文堂出版)』 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

郷学の関連キーワード |岡山(県) |板倉勝明 |池田光政 |小池琴河 |池田治政 |教諭所 |閑谷黌 |郷学

2018年5月24日 ふるさと歴史講座開講式終了後・至徳堂跡を見学  昨年・個人的に見学に行った際の資料を掲載

至徳堂物語を読み始めて、現地を観てみたくなり早速向かった。

中尾の家からは約5キロ、JR内房線の近くまで 行き、田んぼを見渡したら2つ丘のある銚子塚古墳が線路脇にある。

近づいていくと、やはり高柳銚子塚古墳だ(南北に全長142m千葉県第2位の大きさ)。

古墳の南側の中腹に碑が笹薮から頭を出している。   

そばまで行くと、農家の方が田んぼで、切り株などをもやしていた。

 思い切って至徳堂跡は、どこかを訪ねると・・・。

ここの畑がそうだと教えてくれた。

2つ丘のある銚子塚古墳は海軍の木更津航空隊の建設と同時に、この古墳に高射砲陣地を作り、  戦争末期に鉄が足りなくなったのでを爆破して、鉄をとりだしたので、真ん中が窪んで2つの丘に なったと教えてくれた。  

この銚子塚古墳は、千葉県で2番目の大きな前方後円墳だが、明治時代にも、鉄道を通すために古墳の前方部分をけづって線路を敷設。

古墳の中腹にある至徳堂関連の碑に立つと線路越しに富士山が大きく見える。

 1817年・至徳堂は、この古墳の丘の足元に造られたとのこと。

昭和23年に故郷木更津で生まれ、1年ほどして千葉に引っ越し、それから60年も、この内房線でふるさと木更津に通っていたが、何百回も通って車窓から見たの目の前の景色の中に銚子塚古墳があり、至徳堂跡があることを今日まで知らなかった。

 

今日、はじめてこちら側に立ち、内房線の電車をみると、ふるさと木更津のいろいろな事が頭の中でつながっていくのを感じた。

至徳堂研究 近世地域教育の一断面―上総の郷学「至徳堂」の歴史 単行本 – 2014/6三浦 茂一 (著)

昭和4(1929)年4月8日~ 昭和期の歴史家。千葉県史編纂室主幹。編著書に「千葉県議会史」「角川日本地名大辞典・千葉県」など。

田植後3週目の里山田んぼの様子(2018年5月23日・梅雨入りまじか)

2018年5月21日 (月)

無農薬・無肥料でお米を育てる・今年もコナギが発生・コナギ除草の季節に入った・2018年5月21日

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Dsc_0066_1024x683_23メートルの竹竿の先に小さな鎌を付けて

コナギを水に浮かせる

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手前の水田は、古代米・黒米を育苗中・週末には、この場所に田植を行う予定。

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2018年5月20日 (日)

香り米水稲新奨励品種(「はぎのかおり」宮城県農業試験場)育苗約30日で田植。2018年5月20日

Dsc_0027_1024x683_2 宮城県農業試験場 香り米水稲新奨励品種「はぎのかおり」を100グラムわけていただき、2018年4月21日に種まきをして5日目に一斉に芽が出てきた

 

Dsc_0008_1024x6832018年4月30日撮影

Dsc_0005_1024x683_22018年5月20日 田植

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Dsc_0130_1024x683_25月20日 快晴・弱い北風が吹き秋のような日・小杉さんは田植を行った・コシヒカリの田んぼの脇に植える

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Dsc_0142_683x1024_3田植の後・古代米の田植に備えて耕運機の修理を行い・チェーンブロックで吊上げタイヤをかご車輪に交換して田んぼ用にして、代掻きを行った・最初は何とかできたが、そのあと・またギアが入らなくなり断念。

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2018年5月19日 (土)

中尾の家 三條場さん一家が引っ越すため不要な家具を頂いてきてリフォーム 2018年5月19日

大型屏風画制作中の田窪恭治氏をドローンで撮る・YOUTUBEから動画から動画配信

 

中尾の里山の家・田窪恭治が描く伊豆島のヤブツバキ椿の屏風制作

秋の夕日の中で・中尾の里山の家を中心にドローン撮影・庭には田窪恭治作品・感覚細胞が野外展示

2018年5月18日 (金)

田窪恭治 黄金の林檎モザイク壁画制作 2016年12月19日午後12時52分(編集版約6分・未編集版約13分)

2016年12月19日 12時52分から撮影・ 昼休みの時の上さんと田窪さんの打合せの様子・編集版約5分

田窪恭治 黄金の林檎モザイク壁画制作 2016年12月19日午後12時52分(未編集版)・昼休みの時・上氏と打合せ

2018年5月16日 (水)

木更津中尾伊豆島プロジェクトの無農薬の米作りを8年間続けてきた仲間の送別会(札幌に引っ越し)2018年5月11日

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畑でソラマメの収穫を行い、夕食の賑わいに。

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Dsc_0023_1024x683_2次の日・仕事の都合で帰京する漆畑さんを皆で送った後・田植を・午後からは南清苑の皆さんの田植のサポートを

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Dsc_0024_1024x814_2庭の田窪恭治作品・感覚細胞の上で昼食を

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昼食は、飛澤さんが持ってきてくれた蕎麦をゆで、収穫したばかりの竹の子とワカメの味噌汁。

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2018年5月12日 (土)

木更津 南清苑 田植のお礼に,皆さんが茶摘み歌でお礼をいただいた。2018年5月12日

木更津 南清苑 木更津甚句を歌いながら田植をする皆さん 2018年5月12日

木更津・南清苑の皆さん 豊年こいこい節を歌いながら田植をする・田植2日目

木更津 南清苑の皆さんの田植・天候に恵まれ皆さんの心に春風が吹き抜けた。2018年5月11日 写真撮影・三條場洋子

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Dsc_0115_1024x683_2木更津中尾伊豆島プロジェクトの小杉さん親子

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Dsc_0122_1024x659_2田植を終え・休憩

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2018年5月 7日 (月)

孫たちの里山の家での子供の日 ソラマメ収穫・朝顔の種を植える・お米の苗を植える2018年5月5日

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Dsc03795_1024x575_2採れたてのソラマメをゆでたり、焼いたりして昼食

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Dsc03802_1024x575_2朝顔の種を熱心にまく・しょうた君

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Dsc03810_1024x575_2里山の家の前の田んぼ・田植

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C0003t01_1024x576_2朝の5時から起きて動きまわっていた、しょうた君はケーキを食べる前にダウン

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2018年5月 2日 (水)

明日の田植に備えて、もう一度ドライブハローで植え代掻きをここなった・そのあと明日の田植に備えて田植え機の整備を行った。2018年5月2日

Dsc_0011_1024x673ツツジが満開・明日のコシヒカリの田植にそなえて軽く植え代掻きを行った。

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Dsc_0021_1024x683_2植え代掻き終了後・高圧洗浄機で洗う

Dsc_0023_1024x683_2明日のコシヒカリの田植に備えて田植機の整備を行った

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